AWE House
ホテル・別荘
2026, Kagoshima
屋久島の「倒木更新」をテーマに、建築を大地の起伏の延長として捉え直した別荘兼ホテルの計画。単なる宿泊施設を超え、住まい手が自らも自然の一部であることを身体的に取り戻すための「器」としての建築を提案した。
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主要用途 : ホテル・別荘 敷地面積 : 7,915.39㎡
建築面積 : 390.37㎡ 延べ面積 : 292.14㎡
構造 : 鉄筋コンクリート造 階数 : 地上1階






1.8枚の土壁 / Eight Veins
屋久杉の生命力を宿し放射状に放たれた根系としての8枚の土壁は、外周の円形へと溶け込んでいく。島の濃密な「気配」を構造化し、大地と建築を繋ぎ止めるアンカー(錨)として機能させる。
2. 空虚の器 / The Void
屋上中央の「空虚」は、重力に従って建築を緩やかにたわませる。 押し下げられた天井が空間に「圧迫感」と濃密な「気配」をもたらし、大地の起伏の一部としての建築を体現する。
3. 受容と循環 / Acceptance and Circulation
たわんだ屋根は、屋久島の雨を受け止める「水たまり」となる。人はその傍らで、自らも自然の循環の一部であることを身体的に取り戻す。
4. 境界なき円形 / The Circle
全周をガラスという透過スクリーンで覆い、内部空間を原生林へと融解させる。境界を消失させることで、森と一体化する視覚的連続性を創出する。













AWE house
屋久島の「倒木更新」と「循環」の理(ことわり)に重きを置き、建築を大地の起伏の延長として捉え直す。
中央にえぐられた「水盤」という名の空虚は、重力に従って建築をたわませ、一階の天井を押し下げ、空間に濃密な「気配」を生む。8枚の土壁は、命の源泉から放射状に放たれた根系であり、外周の円形へと溶け込んでいく。ここは、人間が自然を支配する場所ではない。水と土の重なりの中に静かに身を委ね、原生林の息吹「AWE(畏敬)」と共に目覚めるための装置である。
不完全な空虚(窪み)が、生命を更新する。「ひと月に35日雨が降る」と言われる水の島、屋久島。その原生林では、巨石の窪みや朽ちた倒木の穴に水が溜まり、そこから新たな苔や実生が芽吹く「更新」のプロセスが永遠に繰り返されている。
本計画は、この島が持つ「生命を育む空虚」を建築へと昇華させる試みである。これは単なる宿泊施設ではない。水が満たされ、命が更新される窪みの中で、人は自らもまた自然の循環の一部であるという感覚を、身体的に取り戻すことになる。
主体の再発見 ー 畏敬と循環のなかで「自分」を取り戻す器 ー
現代の旅は、いつからかSNS上の情報の速度に飲み込まれ、記号として消費されるものになっているのではないか。私たちは、ハイデガーの言う「世人(ダス・マン)」として、自分を外側から眺める方法を見失い、主体性を喪失しつつある。今回の「NOT A HOTEL コンペティション2026」において、私たちが提示したのは、単なる宿泊施設ではなく、「主体性の回復」を軸とした建築のあり方です。
1. 畏敬(Awe)のスケール:ちっぽけな自分に出会う
自分よりも遥かに大きな自然を目の当たりにしたとき、私たちは「自分はなんてちっぽけなんだ」という感覚を抱くと思います。このポジティブな謙虚さこそが、生の輪郭をなぞるための儀式となるのではないでしょうか。本建築では、物理的な巨大さではなく、視線が抜ける軸線や「空白」のスケールによって、建物を体験する人に精神的な揺さぶりをかけ、その圧倒的な静寂のなかに身を置くことで、人が自らの存在を再確認する場を提供することを意図しています。
2. 上質さの再定義:和辻哲郎の「風土」と感度の増幅
「NOT A HOTEL」のポリシーである上質さとは、単なる贅沢な装飾ではないと考えます。和辻哲郎が「寒さを感じる」構造を「外気という間柄のなかに存在すること」と説いたように、上質さとは、客体としてそこにあるのではなく、私たちの主体が見出される瞬間に宿ります。 「高価な大理石がある」「有名なデザイナーの椅子がある」といった、自分とは無関係にそこにある「物」としての贅沢さではなく、その空間に身を置いたとき、光の移ろいや石の冷たさ、木材の手触りや空気の静けさによって、「今、自分はこの世界の一部としてここに存在している」と強く実感できる状態をいかに実現するかが我々の設計の主題となります。
「上質な空間がある」のではなく、「その場所によって、私自身の感覚が研ぎ澄まされている状態」こそが、真の上質さであり、家具作りから建築まで、異なる解像度で物質と向き合う私たちの設計は、鈍った五感を取り戻すための「増幅器」として機能します。
3. 虚構と現実の止揚:地球の循環へ還る身体
建築には、完全なる虚構を目指す「美」と、重力や生活に寄り添う「物質」という、矛盾する二面性があります。 美しい意匠という「虚構」を纏いながら、そのすぐ下で呼吸し、経年変化する「生きた物質」の気配を鮮やかに宿すこと。虚構という夢を見せながらも、最後には人間が生きるための、かけがえのない現実を構築する。 この両極に足を入れ、摩擦を生ませることで、建築は空虚なハコモノを超え、人間の身体を地球の循環の中へと連れていくきっかけになると考えます。
情報過多な日常という連続性を断ち切り、「ひとりの人間でいることの豊かさ」を肯定する。 それは、自分より長く生きる自然と、自分自身の死生観に向き合い、ハイデガー的な「本来性」(周囲に流されず自分自身の『死』を見つめて、納得のいく人生を主体的に生きている状態)を取り戻すことを目的とした、静かなる挑戦です。